書評

いま必要なのは、もっと遅いインターネットだ

1.今日の一言と本のサマリー

2016年8月21日。この日はリオデジャネイロで開催されていた夏季オリンピックの閉会式の日。4年後の2020年の開催都市は、東京。

この引き継ぎ式で行われた演出を覚えてらっしゃいますか?

当時の首相は安倍総理。リムジンに乗って登場した安倍総理は、このままでは閉会式間に合わないと悟ります。すると車中でスーパーマリオに変身。渋谷の駅前に現れたドラえもんが、4次元ポケットから土管を取り出してスクランブル交差点に設置し、土管の中に潜りワープを開始。到着するのは地球の裏側、リオデジャネイロ。

一見過不足のない、見事なクロージングですが、本日紹介する本の著者、宇野さんは物足りなかったと論じています。なぜなら、既に失われた時代の栄光に振り返る力はあっても、未来を構想する力が全くなかったから。

「もはや日本は過去にしか語るべきものない国になってしまった」では一体これからの日本を作ってく上で何が大切なのか。遅いインターネットとは何か?ご紹介していきます。

2.ポイント3点

ジャパンアズナンバーワンと称えられた日本的な経営は、今や個人の個性を抑制し、才能をつぶし、組織の歯車にすることで、情報産業を支えるイノベーションを阻害するための仕掛けでしかない。

そもそも東京という街をこれから半世紀どうするのかというビジョンが存在しないことが問題なのだ。

重要なのはモノからコトへ、物品から体験へ、人々の考える価値の中心が移行していることだ。

3.岡崎の考察

インターネットを、まるでワイドショーのコメンテーターのように週に1度、目立ちすぎた人間や失敗した人間をあげつらい、集団で意思を投げつけることで自分たちはまともな、マジョリティ側であると安心するための道具に使っている。
インターネットの技術は人のあり方を大きく変えています。ご存知の通り、昔のメディアは一方的に情報を流すだけだったのに対し、インターネットは双方向に情報発信をすることができます。そういった中にあって、残念ながら現在のインターネットは人間を考えさせないための道具にしてしまっています。
権力によるトップダウン的な監視ではなく、ユーザ1人ひとりのボトムアップの同調圧力によって、インターネットは息苦しさを増してしまっているのが現状です。

今のインターネットの行き詰まりの原因はその速さにある
インターネットの問題の1つは速すぎる情報が人を振り回してしまっていること。特にTwitterは考えさせないためのインターネットになってしまっていると論じています。もちろん速さはインターネットの最大の武器でもあります。世界中のどこにいても即時に情報にアクセスできる。この速さがインターネットの武器でしょう。インターネットの本質はむしろ、自分で情報にアクセスする速度を「自由に」決められる、にこそあるべきだといいます。

そこで、僕は1つの運動を始めようと考えている。遅いインターネット計画と呼んでいる。それは、新しいウェブマガジンの立ち上げと独占十分な発信能力を共有するワークショップが連携する運動だ。
インターネットはその速さと同じくらい、遅く接することもできるメディアです。自分のスピードに合わせて、しっかりと情報を取り、考える。高速回転で様々な情報をめぐらせるよりも、じっくりと考え、自分の思考を整理する時間をとることも可能です。インターネットは早く接することもできれば、遅くじっくりと、ハイパーリンクや検索を駆使して回り道して調べながら接することもできます。そんなメディアが、今必要なのではないかということが1番の主張です。

問題は速度だけではない。情報にアクセスする速度を、人間の側に取り戻すこと、ときにはあえて遅い事は前提に過ぎない。繰り返し述べているが、速度の自由で僕たちが手に入れなければならないのは、むしろ情報への(正確には情報化された世界への)進入角度と距離感を自分自身の手で調整できる自由なのだ。

最近情報に振り回されてしまっているなと感じる方。一度立ち止まってゆっくり考えてみるのも良いのではないでしょうか。

4.気になるワード

この本は一緒に走りながら考えてもらうための一冊
この世界を覆う見えない壁を破壊する
失われた30年が終わったわけではない。もちろん、それをおわらせるためにこそ、まずは気持ちをいったんリセットしたいと考えるのはよくわかる。でも、気分だけが先走って実態が伴っていないことを、本当は多くの人が感じているはずだ。
現代のオリンピックは何よりまずテレビショーなのだ
平成とは、失敗したプロジェクトである。
2大政党制に移行することで議会制民主主義を機能させることを目的としたプロジェクトだった
平成の30年で、この国の経済は相対的に大きく後退している
ジャパンアズナンバーワンと称えられた日本的な経営は、今や個人の個性を抑制し、才能をつぶし、組織の歯車にすることで、情報産業を支えるイノベーションを阻害するための仕掛けでしかない。
フィンテックもシェアエコノミーも未だ普及の兆しすらなく、この国は1周遅れの国になりつつある
インターネットを、まるでワイドショーのコメンテーターのように週に1度、目立ちすぎた人間や失敗した人間をあげつらい、集団で意思を投げつけることで自分たちはまともな、マジョリティ側であると安心するための道具に使っている。
走りながら考える
そもそも東京という街をこれから半世紀どうするのかというビジョンが存在しないことが問題なのだ。
自分たちはすでに新しい、境界のない世界の住人であり、古い境界のある世界のルールなどもはや関係ない
世界は今確かに、境界のない世界に近づきつつある
多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。
民主主義を半分あきらめることで、守る
民主主義と立憲主義のパワーバランスを是正する3つの提案
①民主主義と立憲主義のパワーバランスを、後者に傾けること
②情報技術を用いて新しい政治参加の回路を構築すること
③メディアによる介入で僕たち人間と情報との関係を変えていく
インターネットと民主主義はここに新しい政治参入の回路を構築する可能性を秘めている
台湾は少なくともアジアにおいては、最も意欲的に民主主義の情報技術によるアップデートに取り組んできた国家だ。
重要なのはモノからコトへ、物品から体験へ、人々の考える価値の中心が移行していることだ。そしてこの、モノからコトへの移行は同時に、他人の物語から、自分の物語への移行でもある。
人々の信じたい欲望を逆手にとって、より良い物語により巨大な動員力を与えようと主張する事は、要するに考える力を持たない大衆から搾取せよと述べているのに等しい。
非日常に動員するのではなく、日常に着地したまま個人が世界に接続する
日本軍は誰も責任者としての自覚のないまま急速に戦争に流れ込んでいた。丸山はこうした分析から社会的なコミットメントの責任を決して引き受けることのない、無責任の体系とも言うべきものが日本社会を支配していることを主張した
書くこと読むことの往復運動を身に付ける事は、自己幻想のマネジメントに直結する
遅いインターネットはしっかり読ませて、しっかり書かせる。
コミュニティーの同調圧力に埋没してはいけないが、コミュニティーを作ることから逃げてもいけない。

5.商品の紹介