書評

残酷な進化論: なぜ私たちは「不完全」なのか

1.今日の一言と紹介する本

皆さんは星野源さんの「うちで踊ろう」ってご存知ですか?

新しい楽曲ですが、コラボレーションを呼びかけたところ、多くの著名人が参加をして、Instagramのフォロワー数が一気に30万人も増えた話題の楽曲。外出自粛ムードが続く中で、不安な気持ちを持っている人たちへのエールが込められた歌。見てると元気になれて素敵です。ちょっと暇をつぶしたい。そんな時ぜひ見てみてください。

それでは今日の書評『残酷な進化論: なぜ私たちは「不完全」なのか』をしていきましょう。

2.本のサマリー

なぜ、私たちは生きているのだろうか?

心臓病、腰痛、難産…もしそうなるように仕向けられてヒトは進化しているとしたら。著者、更科功先生は、東京大学卒業後、明治大学、立教大学兼任講師を務める。

『絶滅の人類史ーなぜ私たちが生き延びたのか』
『化石の分子生物学ー生命進化の謎を解く』
『進化論はいかに進化したか』

など、生物学や進化論についての書籍が多数ある。本書ではなぜヒトが不完全に設計されているのか、その理由を進化論と、遺伝子学の観点からひもといていく。私たちヒトを取り巻く、残酷な進化論とは?

3.ポイント3点

私たちは人間である前に、生物であることを思い出すのも良いかもしれない。生物は生きるために生きているのだから、私たちだって、ただ生きているだけで立派なものなのだ。何もできなくたって、恥じる事は無い。そんな生物は、たくさんいる。

私たちの進化の利害関係は、しばしば一致しない。ときには進化は私たちの敵にもなる。もしそうなら、私たちも進化の言いなりになっている必要はないだろう。

すべての生物は不完全であり、だからこそ進化が起きる

4.岡崎の考察

生物の神秘や不思議が好きな方にとって、進化はとても興味深いテーマの1つでしょう。

なぜ人は心臓病になるのか?
なぜ人は腰痛になるのか?
難産になるように人が進化してるとしたら?

ヒトにまつわる不都合な真実には理由があった!そこで今日は、その不都合な真実をまとめていきましょう。

①生きるとはなにか?
当然ですが私たちは生きています。では生きるとは何でしょうか?ここでは、「エネルギーを吸収して、時々同じものを複製する行為」と定義づけています。ですから定義では台風も生きているということになるそうです。当然人間も、食べ物を食べて子孫を残しますから、この定義に一致することになります。

②私たちは心臓病になるように進化した
心臓の周りには冠状動脈という動脈が通っています。この血管の構造が、心臓病を巻き起こす原因となっており、進化上の設計ミスだと言われることもあります。しかしそれはあくまで、ヒトから見た都合にすぎません。自然淘汰という進化のメカニズムでは、環境に適した形質を増やす力があり、子孫をより多く残せる形質を優先します。
生殖年齢を過ぎた人間を自然淘汰する形質は、子供をより多く残せる形質であり、優秀な形質であると遺伝子は判断しているというから驚きです。

③寿命は進化によって作られた
昔の生物は死ななかったといいます。なんで昔の生物は死ななかったかと言えば、細菌かそれに似た生物しかいなかったから。細菌には寿命がなく、無限に細胞分裂を繰り返すことができる性質があります。ところが、私たちには寿命があります。寿命があり、子孫と入れ替わることで、その時その時に最も優れた形質を選び進化することができます。

④ヒトは死ぬために生まれてきた
寿命があり、死ぬことによって、進化が促されていく。自然淘汰が働くことによって、言い換えれば死ぬ個体があることによって進化が進むといえます。つまり、自然淘汰し進化が働くためには、死ぬ個体が必要だということになります。死ななくては、自然淘汰が働かない。そして、自然淘汰が働かなければ、生物は生まれない。つまり、死ななければ、生物は生まれなかったといえます。

死ななければ、生物は、40億年間も生き続けることができなかった!つまり私たちは進化し続けるために、死ぬように設計をされているということになります。なんと残酷な進化論…

興味がある方はぜひ読んでみてください。

5.気になるワード

私たちは人の進化の頂点でもないし、進化の終着点でもない
地球には様々な生物がいる。その中で、現在ヒトという類人猿の1種が大繁栄をしている。でもそれは、たまたま現在の地球で繁栄しているということであって、別の場所や時代に行ったら、どうなるかはわからない。いや100年後ですら、どうなっているかわからないだろう。
私たちは進化の途中にいるだけで、その意味では他のすべての生物と変わらない。つまり、人って、大した事は無いのだ。オンリーワンではあるけれど、ナンバーワンではないのだ。
なぜ、私たちは生きているのだろうか。
ここでは仮に、台風のことも生きていると表現することにしよう。つまり、エネルギーを吸収している間だけ一定の形をしていて、時々同じものを複製することを、生きていると表現するわけだ。
周囲からエネルギーや物質を吸収し続けて一定の形を作っている構造を、散逸構造という。つまり、複製する散逸構造を、ここでは仮に生きていると表現するのである。
生きる目的とか生きる意味とかを考えるのは、少し変な気がする。だって、生きる構造になった結果、生まれたものが生物なのだから、生きるより後に来るものはあっても、生きるより前に来るものはないのではないか。
生きるために生きているのが生物なのではないだろうか。
私たちは人間である前に、生物であることを思い出すのも良いかもしれない。生物は生きるために生きているのだから、私たちだって、ただ生きているだけで立派なものなのだ。何もできなくたって、恥じる事は無い。そんな生物は、たくさんいる。
生きるより大切な事は無いかもしれないが、生きるために大切な事はある。例えば、食べることだ。
心臓における冠状動脈は、進化上の設計ミスだと言われることもある。もしそうだとすれば、非常に残酷な話である。でも、それはあくまでも人の側から見た意見に過ぎない。
自然淘汰という進化のメカニズムは、環境に適した形質を増やす力がある。自然淘汰が増やすケースは、子供をより多く残せる形質である。
たとえ狭心症や心筋梗塞が起きたとしても、その答えが生殖年齢を過ぎていれば、自然淘汰には関係がない。もう子供を作らない答えに何が起きようが、自然淘汰は一切感知しないのだ。
子供の数さえ増やせなら、後は万骨かれても構わない
私たちの進化の利害関係は、しばしば一致しない。ときには進化は私たちの敵にもなる。もしそうなら、私たちも進化の言いなりになっている必要はないだろう。
進化はリレーのようなものだ。
ある条件で優れているという事は、別の条件で劣っているということだ。あらゆる条件で優れた生物というものは、理論的にありえない。生物は、その時々の環境に適応するようには進化するけれど、何らかの絶対的な高みに向かって進歩していくわけではない。進化は進歩では無いのだ。
進化は将来の計画を立てたりしない。今、この瞬間に役に立っているかどうか、それだけだ。
進化は意外に早く進む
すべての生物は不完全であり、だからこそ進化が起きる
ヒトではチンパンジーよりも腰椎が自由に動かせるため、問題が起きてしまった。例えばおもちゃの人形で、腕が動かせるものは、そこが壊れやすい。どんなものでも、動くところが弱いのだ。だから、チンパンジーのようにあまり動かない腰椎なら起きることのない腰痛が、人間では起きてしまうのだ。
進化では、新しいものを1から作るのではなく、すでにあるものを修正して使うことが普通である。
つい私たちは全か無かといった感じで、両極端だけを考えてしまう。でも実際には、中間的なことがほとんどなのだ。
人類は直立2足歩行することによって、少し難産になり、脳が大きくなることによって、さらに難産になった
おばあさん仮説というものがある。多くの霊長類のメスは、死ぬまで閉経しないで子供を見続ける。しかし人だけは、閉経して子供が産めなくなってからも、長く生き続ける。これは、人が共同で子育てをしてきたために、進化した形質だというのである。母親だけでは子供の世話ができないので、祖母が子育てを手伝うことにより、子供の生存率が高くなった。
昔の生物は知らなかった。でも、私たち人は必ず死ぬ。どうしてだろうか。なぜ昔の生物は死ななかったかというと、細菌がそれに似た生物しかいなかったからだ。
最近は寿命は無いのだ。無限に細胞分裂を繰り返すことができる
寿命は進化によって作られた
シンギュラリティーは技術的特異点と訳されることが多いが、今までと同じルールが使えなくなる時点のことだ。具体的には、人工知能が、自分の能力を超える人工知能を、自分で作れるようになる時点のことである。
自然淘汰が働き続けるためには、生物は死に続けなければならない。
死ななくては、自然淘汰が働かない。そして、自然淘汰が働かなければ、生物は生まれない。つまり、死ななければ、生物は生まれなかったのだ。しなければ、生物は、40億年間も生き続けることができなかったのだ。
生存闘争というのは、自然淘汰が働くための必要条件である。
どうも生存闘争という言葉が良くないのかもしれない。自分の命を大切にすることとでも言い換えれば良いのかもしれない。
世界をあるがままにみた上で、それを愛するには勇気がいる。

6.商品の紹介